ICAF実行委員会は、幹事校5校のアニメーション教育に携わる先生で組織されています。
そんな先生たちにも学生時代がありました。
先生方が自らを振り返りながら、今の学生へ贈る言葉です。
(*内容は掲載当時のものです)
山中幸生/東京工芸大学アニメーション学科准教授
1974年 山梨県大月市生まれ。多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業。同研究室助手を経て、2007年度より東京工芸大学アニメーション学科講師をしながら、アニメーション、イラストレーション、デザインを中心に創作活動を行う。
日本アニメーション協会(JAA)事務局長、広島国際アニメーションフェスティバル実行委員。
*写真は学生当時
Q:アニメーション制作を志したきっかけについて
ちょうど3年生のタイミングで新しい校舎が建ったり、カリキュラムが変わったりと変革のタイミングだったのです。そのタイミングでイラストレーションの延長上でアニメーションの講座が立ち上がって「自分のイラストレーションが動いたら楽しそうだな。」と淡い気持ちで…。(という事で、僕らの同級生や近々の学年は後付けがキッカケの人たちが多いのです。)
あと実はその開講の年度の少し前の1月に、特別講義としてアニメーションの講義をご担当されたのが、片山雅博先生。アノ先生が担当だったら授業面白いんじゃないか、と仲間内こぞって履修して。なのでどちらかというと人間に惚れた方が強いのかも。そんな訳で、漠然としていた”アニメ”ーションへの思いが、様々な素晴らしい作品(注:サクシンと発音)を見させて頂き、だんだんとのめり込んでいったという感じです。
Q:出身校を志望した理由は?
小さい頃通っていた絵の教室の先生が藝大出身で、その先生が藝大と多摩美の話を良くされていたので「あー美大って2つしか無いのか、大変だなぁ。」と思っていた(間違った)印象がまずあって(笑)。その後予備校で画家ではなく、メディアの中で自分の絵を描く生業=イラストレーターという仕事があることを知った事と、あと自由な印象があって。
Q:在学中に頑張っていたことは?
予備校時代が長かったのですが、そこで知り合った仲間のウチがみんなの溜まり場になっていて入り浸っていました。一緒に食べたり、飲んだり、遊んだり…。そこでMacも覚えて、当初コンピュータルームが無かったタマビで珍しくMO(当時の記録メディア)を持ち歩いていて珍しがられました。(上記の新校舎の出来上がったばかりのコンピュータルームに最初に入室した学生がボクでした。その後そこを取り仕切る事になろうとは…。*)あとは毎年芸祭で展示したりとバイトかな。中でも写真屋さん(DPE)は当時まだフィルムでしたがスキャンして、色補正して紙焼きして…今のお仕事にも役立っていますね。
*2006年まで多摩美大GD学科助手として勤務
Q:学生当時の作品について
受験の絵を描かなくていいぞ、って思った時からイラストレーションばかり描いていました。予備校の先生のアトリエに遊びに行った時にたまたま掛かっていた音楽がフランス・ギャルですっかり気に入って。その曲に合わせたアニメーションを計3本作りました。(画像は卒制として制作した「Jazz a gogo -看護な一日-」)
Q:ご自身とICAFについて
作品も上映されていますが、その時は助手として勤務していたので自分の作品も含めて編集を行ったのが2002年の1番最初のICAF。その後ADや、2010にはFDも担当させて頂きましたので、他の人ではなかなか出来ないような経験をさせてもらっています。
ICAF2010でFDを務めた際の写真
Q:アニメーションを指導する教員として心がけていることは?
特に”卒業制作”は正に卒業のタイミングでしか作れないので、23才の卒業したてでも、40才のボクでも、70才を超えた人でもほとんどの人の場合一生にその1作品しかないものになる作品です。なので、自身のそれまでの集大成や、今(学生時代)のタイミングしか出来ないものを詰め込んだ宝物になるような作品に仕上げて欲しいと思っています。
Q:現在のご自身の研究や創作について
最近一番良く使うアプリケーションがメーラーやエクセルになってしまっているのですが…コツコツと制作を進めているアニメーションを完成させたいなぁ、と。制作している時間がやっぱり1番楽しい時間ですね。
Q:学生や、アニメーション制作を目指す人へのメッセージをお願いします。
特に工芸大は日本初のアニメーション学科を抱えている学校なので、中にいると当たり前のようにも思えるかもしれませんが、最初からアニメーションをやりたい!って思って大学を目指して来てる、って実はスゴい事だな、エラいな、なんて思うのです。
その一歩目の気持ちがあれば、その後いろいろあったとしても続けられるハズ。
もっともっと自分らしく上を目指して頑張っていって欲しいです。